2008年1月2日更新

エニアグラムの理論 (パッション 美徳 その他)

 エニアグラムでは私たちの性格を9つの基本タイプに分類しています。エニアグラムでは英語のpersonalityが「性格」と訳されています。そして、「パーソナリティ」=「性格」という言葉は、「自我(エゴ」という言葉とほぼ同義で用いられています。
 オスカー・イチャーゾは自ら「プロトアナルシス」と名づけた技法によって、人間の性格を9つに分類し、エニアグラムのシンボル図形の上に配置したわけですが、彼は(ナランホによると)感情的な囚われ(パッション)のエニアグラム、自我固着のエニアグラム、美徳のエニアグラム、聖なるアイデアのエニアグラムの4つをあげています。
 自我の感情的な囚われはパッション(passion)と呼ばれ、これには9つの傾向があり、同様に、頭のなかの囚われが固着(fixation)と呼ばれているものです。
 イチャーゾはエニアグラムのシンボル図形を発見したとされるグルジェフが、パーソナリティと呼んだものを「自我」と呼び、その一方に自我の構造と限界を超えた本質(エッセンス)があるとし、感情的な本質として9つの美徳をあげ、自我の固着から解き放たれた思考の本質として聖なるアイデアを配置しています。
 イチャーゾのエニアグラムはナランホを通って伝えられており、さらに筆者はリソ&ハドソンを通してエニアグラムを理解しているので、ここからはリソ&ハドソンの理論的修正が入ったものとしての解釈となることをおことわりして、以下に、感情的な囚われ(パッション)と自我の固着、感情的な本質である美徳と聖なるアイデアのエニアグラムをあげておきます。
※リソ&ハドソンは、タイプ9における美徳を最近では、「つながり」と表現しています。人はみなつながっているという考えは重要です。われわれは分断されたものではない。だからこそ、つながりの断たれた存在として他者を扱うということは非人間的なことだということもできるでしょう。余談ですが、キリスト教では、つながりというものについてイエス・キリストをブドウの木に例え、キリストにつながる人々をブドウの枝とその枝に実るブドウの実に例えています。美しいたとえですね。

 なお、9つのパッションのうち7つはキリスト教における7つの大罪と同じです。キリスト教でいうところの罪とは人間が神から離れる傾向、すなわち精神的な(霊的な)堕落の傾向を言っています。9つのなかで、7つの大罪に入っていないものは、「虚栄」と「恐怖」ですが、起源3世紀ごろのキリスト教著述家(教父と呼ばれている)の著作には、9つの堕落の傾向が示されているものもあります。


Witten by nakajima

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