| 性格のタイプのエニアグラム、その歴史について |
エニアグラムのシンボル図形は、コーカサス生まれの神秘思想家G.I.グルジェフによって西欧社会にもたらされたものです。グルジェフはこの図を中近東の修道院などを旅して回っているときに発見したということですが、そのルーツについては明かされていません。グルジェフはこの図と9つの性格タイプの関連については何も述べていません。 このシンボル図形を9つのタイプと関連付けたのは、南米チリの神秘思想家オスカー・イチャーゾという人です。イチャーゾは1950年代から60年代にかけて、この図をもとに彼が<プロト・アナルシス>と呼んでいる方法を使って人間の心理を分析し、チリのアリカ研究所で教え始めました。 今日9つの性格タイプとして知られている、タイポロジー(性格類型論)としてのエニアグラムは、いちおうオスカー・イチャーゾを創始者とするものだと言ってよいでしょう。”いちおう”と断り書きするには、それなりの訳があるのですが、このことについては後で述べることにしましょう。 もし、エニアグラムのルーツについて、一言で分かりやすく説明する必要があるとするならば、「20世紀初頭にグルジェフが発見したシンボル図形に、1950年代から60年代になってオスカー・イチャーゾという人が9タイプを関連付け、それが北米の著名な精神科医や心理学者、カトリックのイエズス会士らの関心をひくところとなり、ちょうど北米で巻き起こっていたニュー・エイジブームの波に乗って、一般の人々の間にも急速に広まっていった」というまとめ方になるでしょう。 エニアグラムはアメリカで一般に広まっていった経緯のなかで、当初、イスラム神秘主義のスーフィ教団の中で門外不出の口伝として語り伝えられてきたものだという説が流れていましたが、タイポロジーとしてのエニアグラムがスーフィ教団の中で伝えられてきたという証拠はなく、今日ではドン・リチャード・リソ、ラス・ハドソンをはじめ、アメリカのエニアグラム研究者指導者の間ではこの説は否定され、タイポロジーとしてのエニアグラムの創始者の名はオスカー・イチャーゾに帰せられています。 エニアグラム図そのもののルーツについては、ユダヤ教のカバラにある”生命の樹木”と呼ばれる図との類似性が指摘されています。 |
| エニアグラムはどこから来たのかということについて、パーソナリティタイプのエニアグラムは”イスラム教神秘主義のスーフィー教団において、口伝で伝えられてきたという話が通説として広まっています。しかし、これは事実かどうかはっきりした根拠はいまだかつて示されていません。口伝だから文献が残っていないとなれば、それで話は終わってしまうのです。 現在、アメリカでエニアグラムを研究し、ワークショップのような形で教えている主だった人々の間では、スーフィ口伝説は否定されています。私たちがエニアグラムを学んでいるリソ&ハドソンにおいても、スーフィ口伝説はとっていません。 では、どうしてエニアグラム・スーフィ起源説が一般に広まったのかということですが、その前に日本にはいつ頃、エニアグラムが入ってきたのかを見てみることにしましょう。 記録として確認できるのは、日本ではじめてエニアグラムが紹介されたのは1987年、『エニアグラム入門ー性格の9タイプとその改善』(P.H.オリアリー、M.ビーシング、R・J・ノゴセック共著:堀口委希子、鈴木秀子共訳)が春秋社から刊行されたことによって、一般に広まるきっかけができたようです。その翌年、数人の読者が訳者である聖心女子大学教授鈴木秀子氏を中心に集まって勉強会がはじめられたということで、この読書会には当初より、「日本エニアグラム学会」という名称がつけられています。(『性格のタイプーエニアグラムの実践ガイド』春秋社(1991年邦訳初版、訳者あとがきより)。現在、鈴木秀子氏と日本エニアグラム学会は別団体となっているようです。 上記『エニアグラム入門』の著者たちは、イチャーゾの弟子であるクラウディオ・ナランホよりエニアグラムを学んだカトリック司祭よりエニアグラムの指導を受けています。鈴木秀子氏はカトリックですから、鈴木氏らによってカトリックグループのエニアグラムが日本に紹介されたのは、自然な流れであったのかもしれません。その後、日本には一度、クラウディオ・ナランホが来日し、ワークショップが開催されています。1994年のことですが、このときは上智大学人間学部教授・理辺良保行(ほあん・りべら)氏が中心になって、ナランホを招聘しています。 ドン・リチャード・リソとラス・ハドソン両氏による来日ワークが、開催されるようになったのはその翌々あたりからではないかと思われます。当初日本エニアグラム学会の招聘によって行われていましたが、現在ではニューヨークにあるリソ&ハドソンのエニアグラム研究所の東京支部が、来日ワークを開催しています。東京支部の窓口となっているのは、C+Fの高岡よし子氏とティム・マクリーン氏で、C+Fはトランスパーソナル心理学を日本に紹介した翻訳家でセラピストの吉福伸逸氏が創設したグループです。オリアリーらの『エニアグラム入門』の邦訳初版巻末を見れば、吉福氏の解説が掲載されています(改訂版にはこの解説が載っていません)。吉福氏の解説はエニアグラムがアメリカで急速に広まった1960年代後半から1970年代にかけての、カリフォルニアを中心とした精神風土と時代的背景を生き生きと伝えてくれるもので、貴重な資料と言えます。 さて、エニアグラムのスーフィ起源説ですが、イチャーゾのエニアグラムに直接触れているナランホは、イチャーゾ本人がエニアグラムはグルジェフ・トレーニングのソースとなっているスーフィの教えから来ると言ったと述べています。エニアグラムの図形の上に9つのタイプをマッピングし、教えるグループがあったということをイチャーゾが言ったのを聞いたと言っているのです。しかし、イチャーゾはグルジェフの思想から大きな影響を受けてはいるが、そういうグループから9つのタイプを図形の上にマッピングしたエニアグラムを学んだことは否定しています。イチャーゾはあくまで、9つのタイプを図形の上に当てはめ、パーソナリティ構造を解明するエニアグラムは自分のオリジナルだと主張しています。 こういった点から見て、性格タイプのエニアグラムの根本にある思想は、グルジェフの思想の影響を受けており、グルジェフはスーフィの教えに精通していたようですが、そこから即座にスーフィの神秘教団で図形の上に9つの性格を当てはめたエニアグラムが口伝で教えられていたという説にたどりつくには、不明瞭な点が多すぎます。 現在では9つのパーソナリティを図形に当てはめ、人間のパーソナリティ構造について言及するエニアグラムは、”イチャーゾを創始者とする”というところに落ち着いています。エニアグラムがアメリカで急速に広まっていった過程では、イチャーゾの弟子であるナランホが大きな役割を担っています。西欧の心理学・精神医学をおさめたナランホはスーフィの思想や道教など東洋的な思想の影響が濃いイチャーゾのエニアグラムに、欧米の精神医学的な見地からアプローチした人です。 イチャーゾは1971年に南米チリのアリカ研究所で、10ヶ月の体験的トレーニングを行っています。そのトレーニングにはアメリカから五十数名の参加者があり、ナランホはその中の一人でした。そのときのトレーニングプログラムは参加者に大きなインパクトを与えたと伝えられています。イチャーゾが教えていたのは超心理学的な分野とスピリチュアルな実践といったことであったようですが、その内容については一般には公開されていません。 イチャーゾのもとで学んだ後、ナランホは1970年代の始め頃、バークレーでエニアグラムを教え始めています。当初はプライベートな少人数のグループであったようです。そういったグループのなかに、カトリックの司祭職にあったボブ・ウックスという人とヘレン・パーマーがいました。 ウックスはカトリックの司祭職の人々の霊的指導のためのプログラムとして、シカゴのロヨラ大学でエニアグラムを教え始めました。そのクラスにイエズス会のパット・オリアリーらがいたのです。オリアリーらは上記『エニアグラム入門』(原題は”The Enneagram:A Journey of Self Discovery”)の著者です。オリアリーらはこの本のなかで、キリスト教の罪の概念とエニアグラムの囚われを結びつけた解釈をしています。 ところで、ナランホからエニアグラムを学んだもう一人の著名な人物に、ヘレン・パーマーがいます。パーマーはインタヴュー方式で事例を集め、独自の経験からエニアグラムのパーソナリティ・タイプについての考察を深めていった人です。彼女もエニアグラムに関する著書を著しています。 イチャーゾのアリカ研究所はオリアリーらカトリックグループの著者とヘレン・パーマーに関して、著作権問題で訴訟を起こしています。この著作権問題は最終的には和解という形になっていったようですが、イチャーゾが問題にしたのはエニアグラムの理論の創始は自分であるということでした。じつはオリアリーらカトリックグループやヘレン・パーマーは、エニアグラムの起源についてイチャーゾが創始者ではないとしている点が、訴訟問題の発端にあるようです。オリアリーらは、イチャーゾが南米のボリビアでスーフィの伝統のなかからエニアグラムを学び、一般に紹介したという見方をとっています。また、ヘレン・パーマーはエニアグラムの起源について、エニアグラム図と線の動きはグルジェフ・ワークから来たもので、イチャーゾはすでにあったエソテリック(秘教的)な思想を統合し、発展させたにすぎないとしています。 ちなみに、イチャーゾはオリアリーやパーマーがエニアグラムについての本を出版したときは、著作権問題などで裁判に訴えていますが、ナランホに関しては何も言っていません。 イチャーゾが問題にしたのは、エニアグラムの囚われの理論は自分が創始者であるという点のようです。しかし、オリアリーらカトリック・グループやパーマーはそのことを認めていなかったわけです。オリアリーら、カトリック・グループではフィクセーション(自我固着)やパッション(情動)を罪の概念と結びつけて考えているが、エニアグラムは本来そういった特定の宗教の枠組みのなかで説明されるべきものではないというのが、イチャーゾの見方です。この点についてはナランホも、カトリックグループの解釈については否定的です。 ドン・リチャード・リソはもともと、イエズス会にいた人で、カトリック・グループのエニアグラムと出会い、後にエニアグラム研究所を独自に発展させることになりました。リソの考え方のなかにも、エニアグラムを特定の宗教の枠組みではなく、宗教的な枠組みを超えた霊性(スピリチュアリテイ)のひとつとしてとらえるというところがあります。(これについては、筆者:中嶋はリソに直接確認しています)。リソのパートナーであるラス・ハドソンは、グルジェフ・ワークを学んできた人だということです。 ※以上、エニアグラム・アソシエイツが発行している『エニアグラム研究』3号(2001年11月号)と1993年にLAウイークリーでマイケル・ゴールドバークが行ったオスカー・イチャーゾへのインタビュー記事をもとにしています。 |
| 1993年にマイケル・ゴールドバークが行ったインタビュー(LAウイークリー)で、イチャーゾはエニアゴン(イチャーゾは”エニアグラム”ではなく、”エニアゴン”と呼んでいる)は、ユダヤ教のカバラやピタゴラスの数秘術、プロティノス(新プラトン派)の哲学などとも関係のあるようなことを言っています。 インタビュアーのマイケル・ゴールドバークは、エニアグラムをビジネスやグループダイナミズムに応用し、自らもエニアグラムに関する著書のある人ですが、このときのインタビューでイチャーゾに、エニアグラムを用いる人間がイチャーゾを創始者とするものであるという断りを入れれば、誰が使ってもいいものなのかという質問をしています。その質問に対してイチャーゾはOKだと言っています。ただし、イチャーゾは一般に流布しているエニアグラムは、どれも正しい理解に結びついていないと考えているようです。カトリック・グループにせよ、パーマーにせよ、他の著者たちのやったことはみな、エニアグラムの誤用だと述べています。 これまでのところを整理すると、エニアグラムの歴史をたどっていくと、グルジェフ、イチャーゾ、ナランホの流れがあり、ナランホからカトリック・グループ、ヘレン・パーマー、そしてカトリック・グループの流れでエニアグラムと出会ったが、宗教的な枠組みを超えて別の流れを作ったドン・リチャード・リソ(のちにラス・ハドソンが加わる)の流れが見えてきます。リソ&ハドソンはエニアグラムの理論的な体系付けを行っているが、それは非常に美しく整合性のあるものになっています。 こういった流れのなかで、エニアグラムとは何かと見ていくと、イチャーゾはプロトアナルシス(原分析)という言葉を使っていますが、まさにその意味するところである、人間のパーソナリティないし自我についての理論的かつ実践的理解(そこには”気づき”というものがなければなりません)ということになります。 エニアグラムは気づきのシステムであるといってもいいかもしれませんが、それはグループワークを中心とする気づきのシステムであり、そのためワークショップ、すなわち体験的な学習が重要な役割を占めることになります。 エニアグラムの背景にある思想については別の箇所で述べます。 |
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